月姫、空の境界二次創作作品

   終落


第二話



 虚ろなる世界にて、彼は生きる。
 『死』を与えるための『生』。『生』を実感する故の『死』。
 表裏で鬩ぐ存在理由。彼は未だ、『生死』の境界線に在った――

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 では、一つ昔話をする事にしましょう――

 昔、あるところに七夜と呼ばれる退魔一族がありました。
 人を超越し、自然の法則を歪めてしまうような者たち。七夜はそんな彼らを処断する一族であり、その能力は退魔一族の中でも特に優れていました。
 彼らがそんな能力を得たのには、禁忌的な歴史が存在します。本来、人である退魔の者は、魔に対抗するための力を自然干渉の能力である魔術、法術に求めるのが一般的ですが、七夜はそれを使用せず、超能力に求めました。
 抑止力とも呼ばれる超能力。退魔一族の中では世界の理を歪めかねない能力として異端とされていましたが、彼らはそれでもその道を選び、結果として彼らは一代限りの超能力を遺伝的な超能力としてその血に存在させることに成功しました。
 無論、超能力だけではなく、七夜の一族は全てにおいて遥かに優れている魔の一族に対抗するため、暗殺技術及び、身体能力を限界まで鍛え上げました。結果、彼らの能力は人でありながら魔を圧倒するような驚異的な一族となったわけですが、それが同時に滅びの歴史を歩む一番の理由ともなったのです。
 彼らが滅びに至った最大の理由は、退魔が後手に回らざるを得ない魔と人の混血の一族――彼らは人の側面を持つため、魔のみを相手とする退魔一族では即座に動く事ができないのです――に対して、圧倒的な力を示していた為でしょう。
 混血である、という事で退魔一族の攻撃を逃れていた混血の一族は、七夜に対し、激しい敵愾心を持っていました。もっとも、当時の七夜はすでに退魔一族としての生業からは離れており、その退魔技術のみを継承しているような状態だったのですが。
 しかし、魔――特に混血の一族の側からして見れば、そんな事は関係なかったのでしょう。混血に対し、圧倒的な力を誇っていた七夜が何時、如何なるときに再びその力を奮うか分からなかったのですから。七夜が暗殺者としての技能に優れていたというのもあってか、欺いているという可能性も否定できなかったのかもしれません。そして、七夜はついに決定的な滅びを迎える事になりました。
 八年前。七夜の里に混血の一族の中でも特に力のある、『遠野』という一族が攻め込みました。すでに退魔から離れ、山奥でひっそりと暮らしていた七夜の一族にとってはまさしくその襲撃は寝耳に水であったのだと思います。ほとんどの七夜の者は容赦なく殺されていきました。暗殺技能の優れていた七夜ですが、正攻法に攻め込まれた場合では明らかに不利だったのでしょう。それでも、当時の当主、七夜黄理は七夜の里を取り囲んでいた森の地形を活かし、ある程度は善戦したようです。
 ですが、結果から申しますと、彼らは滅びてしまいました。その直接的な原因となったのが、遠野の分家筋である軋間の当主、軋間紅摩です。現在、退魔一族にとって、もっとも恐るべき『紅い鬼人』。彼が最初にその圧倒的な力を奮ったのが七夜の里への襲撃の際でした。その力は圧倒的で、七夜のみならず、退魔一族の中でも脅威とされていた七夜黄理を初め、多くの者を殺しました。
 もっとも、彼は七夜のみならず、遠野の私兵すらも襲ったようで、遠野の一族はその後表立った動きをする事はできませんでした。
 画して。七夜という、退魔一族が誇ると同時に異端視されてきた一族は滅亡を迎える事になりました。そして、遠野も痛手を負ったせいか、八年前から今日に至るまで、大きな動きを見せておりません。また、この事件でその力を示した軋間紅摩は行方を眩ましています。退魔組織もその力を恐れたのか、軋間の行方を追うようなことはせず、同時にその力を持つ遠野の一族を処断するようなことはありませんでした。
 こうして、事件は一応の収束を見せました。ですが、終わりは新たなる始まりでもあります。滅びたはずの七夜にたった一人、生き残りがいた事により、新たなる火種が灯ったのですが――これに関してはその当人が語るべき事だと思います。

 では、そろそろ私はお暇させていただきます。これからお嬢様のお召し物を見繕いますので。あ、私の名前ですか? 名乗るほどの者でもありませんが……もし、私を呼ぶようでしたら――「秋隆」とお呼び下さいますようお願いします。
 では、これにて失礼――

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 カナカナと蝉が鳴いていた。天に掲げられた太陽も今が夏だと示すように容赦なく陽射しを大地へと降り注いでいる。前夜から降り続けていた雨も朝方には既に上がっており、その残滓すら見受けられない。
 そんな夏の昼間。じりじりと肌を焦がすような陽射しを受けつつ、七夜志貴は道を歩いていた。
 白いワイシャツに下は学生服と見受けられる紺色のズボン。第二ボタンまで開けられたシャツから見える素肌は妙に白い。だが、不思議と不健康そうに見えないのは彼の発する、独特の雰囲気のせいなのかもしれない。
 蝉の音が騒がしい道。舗装されていない土の道を、彼はゆっくりと歩いていた。夏の暑さにだれるわけでもなく、蝉の鳴き声に顔を顰めるわけでもなく。彼は極めて無表情に歩いている。だが、唐突にその足を止めた。そして、つい、と視線を前方へと向ける。
 そこには、一人の男性が志貴の方へと向かって歩いている姿があった。
「おや、お久しぶりですね」
 そう、にこやかな笑顔とともに会釈をする男。濃い灰色のスーツを一部の隙もなく着こなし、それに対応するように柔和な笑顔を浮かべている様は誰でも好感を持ってしまうだろう。だが、それでも志貴はその無表情な顔を一片も動かす事はない。ただぽつりと、彼は一言だけを発した。
「秋隆か――両儀の使用人がこんな所に何の用だ?」
 明らかに年上である相手に対し、不躾とも言える質問をする志貴。それでも秋隆と呼ばれた男はその笑みを崩さずに答える。
「いえ、たいした物でもございませんが、御当主様の用事を承りまして」
「両儀の当主……ああ、あの奇人か。人を超越したヒトを作るために随分と奔走しているそうだな」
「…………」
 皮肉げに紡がれた志貴の言葉に、秋隆は笑顔をそのままに、無言で志貴の言葉を受け止めた。それを見て、志貴は初めて表情を動かし、不快げに眉根を寄せた。
「退魔一族として存在するが故に、無理に動く事は適わないようだ。それでも、組織の老人どもの機嫌を取りつつ、自らの欲望を達成しようとしているようだから、その強迫観念染みた執念には頭が下がるばかりだが――」
 言葉を切り、その視線を秋隆へと向ける志貴。そして、ぞっとするような声で続けた。
「――俺の邪魔をするようなら容赦はしない。それが、両儀であろうと、貴様であろうと」
 一瞬。その一瞬だけ、そこは夏の暑さが凍ったようだった。志貴から発せられた気配――紛う事なき殺気。警告の意を持つソレは、違わず秋隆の身へと突き刺さる。
 常人であるならば、取り乱すほどの殺気を身に受けても、秋隆はその表情を変えることなく立っていた。顔に笑顔を貼りつけたまま、彼は会釈して志貴の横を通り過ぎた。志貴は黙したまま、見続けている。
 そして。秋隆は最後に一つの言葉を残して去っていった。
「――ご心配なさらぬよう、七夜様。貴方の目的である、かの存在に関して両儀は不干渉です。よって、七夜様も安心して退魔に勤しんでいただきたい」
 秋隆の言葉を受け、彼はしばらく無言のまま、その後姿を見ていた。そして、秋隆の姿が完全に見えなくなると、彼は吐き捨てるように呟いた。
「道化が――」
 その一言にどんな意味が込められていたのかは誰にも分からない。そのまま、志貴は道の先を見据え、再び歩き始めた。

 いつの間にか、蝉の声は聞こえなくなっていた。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 夏の昼間だというのに、その部屋の暗さは尋常ではなかった。外では燦々と陽が照っているのにも関わらず、その一室には光の一条ですら届いていない。常夜であるかのように、ただそこは暗闇が巣食っていた。
 その部屋の中心。そこには、一人の老人が座っていた。着物を普通に着こなしている様は、人生を積み重ねた歴史を感じさせるように悠然としていたが、彼自身の空気がむしろそれを否定していた。
 彫像のように微動だにせず、ただ虚空を見据えている姿。微かに分かる息遣いがなければ、誰もが生きているとは思えない。だが、それだけに老人がただの老いた人間ではないということを証明しており、故にこの暗闇の空間に存在している事を可解としている。
 ――彼を、人は退魔一族の長と呼ぶ。
「……七夜よ、おるか?」
 先ほどまでの彫像のような様子から一変して、老人は滑らかな動きで立ち上がった。その口調は見た目の歳からは考えられぬほどはっきりとしており、八畳ほどの広さを持つ空間に声が浸透していく。
「……ここに」
 何時の間にか、老人の前に人――七夜志貴が立っていた。相貌は閉じられており、その瞳の色を見ることは適わない。だが、その体躯から感じられる、独特の雰囲気だけは隠そうとはせずに、老人の前へと現れていた。
「ほほぅ……流石、七夜というべきか。我が眼で捉えられぬとは」
 その賛辞の言葉とは対照的に、その声色は奇怪なほどに平坦であった。むしろ、その台詞とは裏腹に、彼は相手の力をしっかりと把握しているようだ。少なくとも、本当に志貴の力に驚いているわけではない。
 退魔組織の長として、彼は一部の隙も見せていない。志貴もそれを理解しているのか、ただ目を瞑ったまま、老人の言葉を受け止めていた。
 そんな志貴の様子を見て、老人は喜色を僅かに滲ませた声をかける。
「今回の働き、ご苦労であった。巫淨の分家もこれで遠野の一族と関わろうとは思うまい。七夜志貴、お主のおかげでまた我らの安定が望める」
「…………」
 老人の声に、無言のままの少年。組織の長とその配下、といった構図にも関わらず、二人の間には明確な境界線が引かれているようである。それが真実であることを示すかのように、二人は互いの絶対的な間合から半歩分、外にいた。立ち上がったままで話しているのも、まるでどんな状況になってもすぐさま戦闘状態に移せるように準備しているようだ。
 そして、一時の沈黙が場に落ちる。本来ならば、ここで報告の義は終わり、このまま志貴は去るはずである。余計な話はせず、再び命が下るまで、志貴は待機する――それが、退魔組織における七夜志貴と組織の長である老人の間柄であった。それが、五年前から続く絶対的な不文律。
 だが、今。志貴はまだその場から動こうとはしなかった。怪訝そうな顔で志貴を見やる老人。それを無視するように、志貴は口を開いた。
「翁よ、一つ聞きたいことがある」
「珍しいのう。お主がそのようなことを申すとは――よいよい、何でも聞いてみよ」
「――巫条の一族はあの三人だけではないのか」
 その言葉に、老人はほう、と声を上げた。驚いているわけでもなく感心したようでもない、単なる空気を出したときのような声。だが、一瞬にしてその空間に冷たいナニかが走り抜けた。
「対象が殺し尽くせていない、というのが気になるか? だが、安心せい。残った娘は直に死を迎えるような状態じゃ。放っておいても大丈夫であろう」
「――では、虚偽の情報を渡したことは認める、と……そういうことか、翁」
 その冷たい声に。翁の背中に冷や汗が一筋流れた。目の前に佇んでいる志貴の体から、あからさまな殺気が漲っている。
 その両目は閉じられたまま。だが、万が一その相貌が開かれる時は――まさしく、この場は荒れるであろう。そう予想した老人は静かに、ゆっくりと、重心を踵から爪先の方へと移した。無論、志貴が何か行動を起こした際に、いつでも動けるように。
 その動きと同時に、老人は取り繕うように志貴の言葉を否定する。退魔の長として長らくその威光を示してきた彼にとって、目の前の少年ともいえる歳の者に圧されていると気取られるのはまずかった。努めて冷静に、彼は言葉を口にする。
「そうは申しておらぬ。お主とて、あの場で三人を殺す事がもっとも良策であったことを理解できるであろう。残る巫条の娘は三咲町の病院にいるが、病院は人が多すぎる。如何に七夜であろうと、全く痕跡を残さずにそう容易く暗殺はできぬだろう? 無駄な情報を教えたところで、お主の得にはなるまい。長としての判断からそうしたまでじゃ」
「…………」
 無言のままの志貴。それを注意深く見据える老人。じりじりと、空間が焦げるかのように、二人は黙ったまま、相対する。そして、唐突に。ふっ、と志貴から殺気が消えた。それを翁は納得の意とし、心中で安堵の溜息を漏らす。
「納得してくれた――ぐあぁっ!」
「――長としての判断と言ったな。だが、我が一族の滅亡した経緯を知らぬわけではないだろう。……それでも尚、そのようなふざけた戯言が吐けるとでも?」
 あっという間の出来事だった。音すら超したかのように、老人の間合いの中に飛び込んだ志貴が、そのまま老人の首を左手で掴んだのだ。そして、右手は鈍く輝く小刀を持ち、眉間へと狙いを定めている。
「軋間紅摩――当時はまだ、紅赤朱ではなかった頃だ。親父はあの鬼人の命を奪うことができずに、見逃した。そのおかげで、八年前に七夜は滅亡……今回とて、そうならないとは限るまい?」
「だ、だが……同じ退魔の一族であるのだぞ? そのようなこ――と――」
 ぴたり、と老人の言葉が止まる。そこで初めて、老人は選択肢を間違えたことに気付いた。体は、すでに恐怖から震えている。そして、心もすでに運命を呪うばかりであった。

 志貴の瞳がいつの間にか、見開かれていた。
 蒼く灯った――浄眼。

 志貴は『眼』を老人に向け、変わらず静かに話し続ける。恐怖に震える老人を笑顔すら浮かべ、見つめつつ。
「だから、どうした? 人が人を殺すことなど当たり前の世に、そのような言が通るとでも? ……笑えるな。人外ならば屠り、人ならば助け合うことが当たり前だとは――」
 眉間にナイフが刺さる。だが、それは紙一重。つぅ、と血が老人の顔を通り、床へと滴り落ちる。
「……よくぞ、そのような考えで生き長らえることができたな、貴様」
 ナイフよりも。志貴の体から立ち昇る殺気よりも。自身に迫った決定的な死よりも。
 老人はただ、その蒼い瞳に恐怖した。
 目をそらすことは叶わない。ただ暗闇に浮かぶ蒼に魅入られたかのように、全てが引き込まれていく感覚が彼の全てであった。
「聞きたいことは一つだけだ。貴様はそれに答えるだけでいい」
 冷たい声色で告げる志貴。老人は首を縦にも、横にも振ることができずに、ただ志貴の言葉を待つばかりである。だが、それを気にすることなく、志貴は老人に問う。
「巫条の生き残りがいる場所を教えろ――」
「ぐぅ……わ、わかった。教える、だから、その手を離せ、七夜よ!」
 年老いても、退魔組織の長というポストに納まっているだけのことはあるのだろう。志貴の殺気を籠めた浄眼を見つめていても、彼は屈すれど、はっきりとした声を出したのだから。それでも、死の恐怖と首を絞められていることで声が震えていたが、そのようなことは恥にならない。
 なぜならば。生殺与奪の権利を委ねられている相手が七夜志貴であり、そのような状態でまだ生きていられるという事が幸運でしかないのだから。ならば、生あってこその醜態が恥になるはずもない。
 ともかく。志貴はその言葉を聞き入れ、老人を解放した。盛大に咳き込みながら、翁は震える手を着物の襟へと突っ込み、そこから封筒を取り出す。そして、志貴へと手渡した。
「ここに、全ての情報が載っておる……後は、お主の好きにせい……我ら、退魔組織が止めることが無理ならば、我らは事後のことに尽力するしかないだろうて」
 ひどく、しわがれた声で志貴に告げる老人。先ほどまでの余裕のあった態度は微塵も消え去っていた。その様子を一瞥し、志貴は封筒を受け取った。そして、一歩引いてその姿を闇に紛らせる。
「翁よ……最後に一つ忠告しておこう」
 すぅ、と闇に同化していくかのように志貴の気配が消えていく。最後に、その言葉のみが残されて、志貴は残滓すら残さずに消え去った。
「――くれぐれも、俺の寝首を掻こうとはしないことだ。俺は退魔組織に属する者ではなく、退魔組織に力を貸す者。いざとなれば、貴様らの虐殺すら厭わない――そのことを肝に銘じておけ」
 その言葉に、翁は咽喉を抑えながら、すでにいなくなった志貴の姿を捉えるかのように虚空を睨む。ぽたり、と再び眉間から垂れ落ちた血液が床にまた新たな血痕を作り出した。
「貴様が七夜の一族でなければ、組織総出で殺してやるものを……! 忌々しい存在じゃ――」
 毒々しい呪詛の言葉。だが、老人の言葉は逆に、志貴の力を恐れていることを如実に表していただけだった――

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 八年前。ある退魔の一族が滅んだ。本来ならば、生存者など一人もいないはずであった。だが、それでも彼は生き残り、その身に流れていた退魔の血を顕現させることになった。

 彼の名を、七夜志貴と云う。

 八年前。一人の男が姿を消した。宗家である遠野家の当主の命により、七夜へと攻め入り、そのまま何処かへと去っていった。混血でありながら、限りなく純血の魔に近づいてしまった彼は、その血が示すまま、行方を眩ました。

 彼の名を、軋間紅摩と云う。

 そして、現在。ある混血の一族が消えた男の遺伝子を使い、ある計画を実行に移そうとしていた。現代科学の粋を集め、彼らは凶悪なモノを生み出そうとしていた。

 その一族の名を、遠野と云う。

 全てが一度終わった、八年前。それから続く、複雑怪奇な螺旋運命。交わることもなく、しかし終着点は同じ。いつか来るはずの終局に向け――イマはただ、在るがまま。