界月境式

 OtherSideStory

 
























The DryFlower
























 

 

 八月の墜落事件からもう一週間くらいたった。

 私、弓塚さつきは病院を退院し、カウンセラーと名乗った蒼崎橙子さんの事務所に向かうことにした。

 ―――まだ、夏は終わらない。

 

 名詞を頼りにバスに乗ってちょっと離れた街まで行く。

 冷房の効いたバスは快適で外の景色を見ると大型のバイク(名前は忘れた。バイクは詳しくないから)に女性が煙草を咥えて走っていた。

 ………誰かに似ているような気がしたけど気のせいということにしておいた。

 

 バスから出ると湿度を持った熱気がむわっと肌に纏わりついて気持悪い。

 梅雨以来、その湿気はずっと地面に隠れていたかのような蒸し暑さ。

 汗がじっとりと噴きだして私はハンカチで顔を拭いた。

 でも、それは本当に無意味なことだった。

 熱さが収まるわけもなく、吹いた後にはすぐ汗が噴きだしてくる。

 正にイタチゴッコだ。

 私は名刺に書かれた住所を歩き回っていたがどうにも見つからない。

 辺りを見回すと熱で続く道程の奥が霞んで見える。

 むわっとした熱気に照りつける太陽。

 排気ガスで少しくらい太陽の光が治まればいいと思うけど生憎、温暖化で太陽の日差しは年々僅かながらも酷くなってきている。

 日焼け止めを塗っておいて良かった、と私は思った。

 汗で下着が肌にぴったりとくっついて不快感は更に増した。

「どこにあるんだろう」

 思わず呟いた。

 朝の八時にここの近くのバス停についてそれからずっと歩き回って腕時計を見たら、もう二時だった。

 私は本当は伽藍の洞なんてないんじゃないだろうか、と思い始めた。

 五月蝿そうに鳴く蝉の所為でこっちが泣きたくなってきた。

 先程から私以外の人を見かけない。

余計、暑さを感じた。

私はさすがに喉の渇きに耐えることが出来なくなったので自販機で清涼飲料水を買った。

その脇にある室外機が憎たらしくも思えたが、飲むことを考えるとそう大した問題ではない。

 すると、眼鏡をかけた青年が足早に横切っていったので私はその人を捕まえた。

 どことなく、私を助けた彼にも似ている。

 それに、この熱い中、真っ黒な服で目立つからこそ捕まえれたのかもしれない。

 なんとなく彼以外、もうこの辺りに人が来ない様にも思えたからだ。

「あの、『伽藍の洞』って何処にありますか?」

 

 事務所、というよりは廃ビルに近いその建物は見たとき、違う住所が書かれていたんじゃないかって本気で心配したけど、駐車場に車が入っているのを見て安心した。

 何より、ここを教えてくれた青年―――黒桐幹也さんはここの社員らしく、遅刻してたので私を案内すると言う口実で遅刻したと誤魔化せるだろう、と意気揚揚としてここを教えてくれた。

「事務所は上のほうなんだ」

 そういう黒桐さんの後を追うように私は階段を登っていった。

 外気に接している階段は蒸し暑く、外の方が涼しかったんじゃないかって思うくらいだ。

 黒桐さんが扉を開けるなり、

「遅いぞ黒桐、午後出勤は二時だろう?」

 と、冷房の効いた涼しい風と激しい罵声が同時に私を襲った。

 一体、どんな人がこのやさしそうな青年を叱るのだろうと思って見て見ると、蒼崎橙子さんそっくりな女性が叱っていた。

 橙子さんとの違いは眼鏡と目付きの悪さくらいだろうか?

 彼女は一体誰だろうと思ったが、

「おお、この前の女子高生か、なんの用だ」

 当の本人だった。

 しかし、性格がまるで違う。

 以前の柔らかな物腰にまるで小学校の教師のような態度や顔は完全に失せていた。

「……えっと、蒼崎橙子さんですよね?」

 すると、

「ああ、そうだが…… ああ、君は知らなかったね、私は時と場合において自分と言うものを使い分けているんだ。何、二重人格とかとかそういう類ではない」

「そ、そうですか」

 私はそれ以上、何も言えなかった。

 黒桐さんを散々絞った後、私は橙子さんに私を助けた人のことを聞いた。

「君を助けた人間ね…」

 橙子さんは不快そうな顔で頭を掻いた。

「ああ、そいつは現在入院中だ」

 ―――え?

「そ、それって私が助けられたことに―――」

「関係ないから、落ち着いて」

 あのときのようにやさしく橙子さんは私に向かって言った。

「彼、七夜志貴っていうんだけど、ちょっと事故で今、ここで病院代わりに入院してるの、下の階に居るから見舞いに行きたかったら行きなさい」

「………はぁ」

 私は言われるまま、下の階に向かった。

 

 下の階の扉の前に立つ。

 私は彼の顔を実は覚えていたりする。

 扉の前に立つなり、私の脳裏には落下して意識が飛びそうになる中、反転して目に映る彼の横顔が鮮明に浮かび上がる。

 若干大きめの眼に短めの髪、見た目は優等生と言った印象の彼。

 だけど、とても優しい、ほんのりと淡く青い目をしていた彼は私を助けたことによる衝撃の所為か痛そうな顔をして、私を見て、無事と確認するなり、ふっと笑った。

 七夜志貴。

「………志貴君か」

 思わず呟く。

 ドアの取っ手に手をかけ、開ける。

 そこにはベッドで寝ている彼、

 そして―――

「はい、七夜君、リンゴですよ〜」

 ―――眼鏡をした見覚えのある……

「シエル先輩!」

 私は思わず叫んでしまった。

 

 

「弓塚さん、どうしてここに」

「それはこっちの台詞です。何でここに居るんですか、先輩は!」

 志貴は顔を左右に振り、二人を見て、

「あのー、話が見えてこないんだけど……」

 しかし、二人に聞こえてるはずもなく、

「私は七夜君の看病を橙子さんに頼まれているだけです!」

「私は橙子さんに、ここに七夜君がいるって聞いたから来たの!」

「あなたが七夜君とどういう関係なのか、はっきりと聞きたいわね〜」

「そういうシエル先輩こそ!」

「私は魔術師だから」

「―――はい?」

「だーかーらー、私は魔術師で橙子さんに認められているからOKなんですよ」

 と自身たっぷりに言うも、さつきの頭は疑問符で埋め尽くされていた。

「ま、魔術?… 魔術師? はぁ?」

「はいはい、シエルさん、弓塚さんを苛めないの」

 パンパンと手を叩きながら眼鏡をかけた橙子が扉の前に立っていた。

「橙子さん」

 三人の声が重なった。

 

 

「で、魔術師って本当なんですか〜」

 二人きりの事務所でさつきはじと目で橙子をみた。

「いや、何、カラクリはあるが本物だ。たとえば―――」

 橙子は自分が立っている脇にある机の上から銀細工のペーパーナイフを取り出して、空中に文字を描いた。

 光の軌跡が残り、形が描かれるなり、それは意味を持って具現化した。

 ボンッと空気中に大きな炎が一瞬舞い上がった。

 さつきは冷房の聞いた部屋に熱風が現れたことによりそれが光を利用した手品ではないことを理解した。

「簡単にいえば種のある現代出来うる技術を別の形式で発生させるのが魔術だ。魔法とは違う」

「どう違うんですか?」

「魔法と言うのは現在出来ないことの総称だ。例えば、そうだな、時間移動とかそういう特異な概念を持った夢絵空事のようなことを現実にしてしまうことだ。今、私が炎を出したがそれはライターで事が足りるだろう?」

 皮肉っぽく言うも思わずさつきは笑ってしまった。

「で、七夜だが、こんなところよりちゃんとした病院に入れたほうがいいと思っているだろう?」

 思わずさつきは頷いた。

「やつは今から一週間ほど前にやつは背骨が捻じ切れてね、仕方なく私が代替骨を造って埋め込んどいたんだ。そんな技術、現代医療にはないだろう? 普通の病院に入れられたら一生下半身が動かないだろうよ」

 皮肉った笑みを浮かべ煙草を吸いながらなんて事を言う人だろう、とさつきは思った。

「で、シエルは魔術的知識と技術が高くてね、彼女に任せておけば私の手間も省けるのだよ、君には悪いが、看病なんざ彼女に任せて―――」

「―――置けません」

 ほうっと橙子は煙草を口から放して思わず呟いた。

「なら、私が魔術を―――」

「―――習うのか、この私から?」

「………はい、いけませんか?」

 橙子はじっとさつきを見る。

 (魔術回路は私以上か、これは化けるな、さて、どうしたものか―――)

 煙草を灰皿に押し付け、橙子はさつきを見、

「理由はどうあれ、君はそれを望んだ、口外しなければ雇ってもいい―――」

「本当ですか!」

「―――ただし、七夜や黒桐、鮮花と働いてもらうが、授業料は給料から天引きだ」

「はい、構いません」

 

 

「くっふー」

「あら、もうお終いですか? 弓塚さん」

 鮮花は嫌味ったらしくさつきに言った。

「いや、魔術書ってすごい量があるねって思って、効率化とかそういうのは自分でするんでしょ? じゃあ、この本の半分近くって無駄の塊に見えない?」

 そのさつきの言葉に鮮花は驚いた表情で、

「―――え」

 内心、鮮花はすごい、と思っていた。

 効率化をして自分のものとするのに鮮花は長い期間炎を研究し、自分の形として具現化する言葉「AzoLto」を創り出した。

 しかし―――

「いや、無駄なことも後々、別の魔術での法に役立つときがある。無駄だと思うだろうが覚えておいたほうが身のためだぞ」

 と、橙子が幹也と図面を書きながら言った。

「ところで、橙子さん、まだ私に七夜君は―――」

「無理無理、あれって相当苦労するのよ? 細かな魔術回路の微細な揺れとか見極めて背骨を調整していくの、あれは一時的に直ってもメンテナンスをしなきゃ狂っていくし……」

「………わかりました」

 仕事が粗方済んでさつきはビルの屋上でため息をついた。

「あーあ、志貴君があれじゃあなぁ、いつになったら世話できるのかな……」

 さつきはシエルの顔を思い出して思わず腹が立った。

「………最低だ、私」

 ぽつりと、言った。

 

 

 いつまでさつきは屋上にいただろうか、きぃと低い低音が聞こえ、振り返ると橙子がいた。

「黄昏ているのか、まあ仕事が終わったから後は自由だが、お前の場合、悩みが判りやすいな」

「………」

「さしづめ、七夜と同じ場所にいるのに二人きりになって離せないことにジレンマでも感じているのだろう? まあ、深くは考察しないがいかなる理由があれ、お前は私の弟子になったんだ。それ相応の技術が貴様に身につけば後にシエルすら凌駕するだろうよ」

「そんな慰め、いいです」

 橙子は不機嫌な顔をして、一喝した。

「ふざけろ、私が無能力者を雇うとでも思うか? 貴様、慰め如きで私がここに人間を入れているとすればそれは私にとって大いに無駄な時間だ。そんなやつに対してこのような陳腐な会話すら苛立たしいよ。けどね、さつき。お前は無能力、ましてや慰めるために私が入社させたわけではない。貴様は鮮花以上の素質があると見出したからだ。ここ数日間の魔術書の効率化は稀に見るものだ。私ですらあの効率化した式には驚いたよ」

 橙子は煙草を苛立たしげに投げ捨て、足で踏みにじった。

「己がシエルすら凌駕するということを肝に銘じとけ。お前はA級魔術師には確実になれるさ」

 橙子は言い切るなり不快そうな顔をして扉の奥へと消えていった。

「私もまだまだだな、―――やはり、私は弱くなったよ、荒耶」

 誰に聞こえることもなく嘆きは消えていった。

 

 

 さつきは志貴の眠る部屋の扉を開けた。

 進んでいくとシエルは志貴のベッドの脇で志貴と寝息を立てていた。

 志貴はまるで死んでいるように眠っていて、シエルは母親のように志貴の脇で寝ていた。

 さつきはそれを見て、むっとしたが、ふっと息を吐いた。

「先輩も疲れますよね」

 と、呟いて、二人の様子を脇の椅子に座って見続けていた。

 暫らく経つとさつきも寝入ってしまった。

 鮮花と幹也、そして橙子が仕事を終え、下の階を覗くとそこには三人の少年少女が寝ていた。

「橙子さん、どうします?」

 幹也と鮮花が尋ねるも、

「私が知るか、好きにさせておけ」

 当の本人はいつもこの調子だった。

「七夜の世話人が増えれば私もより楽になれるというものさ」

 正直に意見を述べ、彼らは伽藍の洞から去った。

 

 

 冷房の聞いた部屋から出ると肌に絡みつくような熱気が未だに残っている。

 もう八月も終わり。

 私は十分に立って歩けるようにまでなった志貴君と街を歩くことにした。

 生憎、デートと言うわけではなく、橙子さんの知り合いの秋見大輔という刑事から情報を貰う為だそうだ。

 これは志貴君のリハビリも兼ねているらしく、その世話役の任には私が当たられた。

 シエル先輩は黒桐さんのリハビリ(事情は知らない)に当たるらしく、鮮花と喧嘩をしていた。

 そこから逃げるように志貴君と私は街へ向かった。

 志貴君は眼鏡をしていた。

 理由を聞くと魔眼らしく、どういったものかまでは教えてくれなかった。

「少し、休んでもいいかな弓塚さん」

 広い公園で一休みしたとき、私はアイスクリームを買ってきた。

 何故か、困ったような顔をしていたが、

「あ、うん、ありがとう」

 とアイスを受け取って二人でベンチに座って舐め始めた。

 お盆も過ぎて夏休みもあと一週間で終わるというのに、残暑は厳しく、待ち行く人は皆、首にタオルを巻いていたりハンカチで顔を拭いていたりした。

 私たちの座っているベンチは大きな気で日陰になっていて時折吹く風は熱気が残っているものの、汗ばんだ肌の湿気を飛ばして僅かながらも健やかな気になる。

 アイスを口に入れると冷たさと甘さが広がった。

「おいしいね、志貴君」

 しかし、横をみると、まるで子犬のようにゆっくりと志貴君はアイスを舐めていた。

 可愛くも思えたけど、私は彼が冷たいものが苦手だということに気が付いた。

「あ、ごめん、アイスよりドリンクのほうが良かったかな」

「あ、い、いや、そんな事はないよ、アイスが嫌いって訳じゃなくて……」

 慌てて言う彼は私が傷つかないように努力をしているのだろう。

 嬉しくも思えたけど、私は意地悪く、

「じゃあ、アイス、食べなよ?」

 と、言ってしまった。

 宗聞いた瞬間彼は、一気に食べた。

 ―――すると、だんだん、顔が青くなってきて、頭が左右にぶれて倒れた。

「志貴君!」

 

 

 (ああ、あんな事しなけりゃ良かった。)

 志貴は心の中で自分に毒づいた。

 未だに頭の中に氷の塊があるんじゃないかって思うほどの衝撃で志貴は軽い貧血、とは違う状態で倒れた。

 (こんなの橙子さんにばれたらまた笑いの種にされちゃうよ)

 志貴は以前、幹也が買ってきて伽藍の洞のメンバーに配られたことを思い出した。

 七月のことなので当然、さつきがいるはずもなく、そこで志貴のアイスが苦手、(というより冷たいものが苦手)ということが知れ渡り、以後、暑いから、と橙子と鮮花が気が振れたんじゃないかって思うくらい毎日毎日アイスを志貴に食べさせつづけた。

 その出来事は半ばトラウマに近く、アイスを食べること事態は嫌ではないが、多量のアイスを食べるとこのように倒れてしまうと言うのは志貴の悩みの種となりつつあった。

(………そういえば彼女も冷たいものは苦手だったな)

そう考えるも、今は目を覚まさなければいけない、と思考し、眼を開けるとさつきの顔があった。

「あ、弓塚さん」

 どうして、目の前にこんなに近い距離で彼女の顔があるのだろうと思うと、志貴は即座に起きた。

 膝枕をされていた事に気恥ずかしさがあったからだ。

「あ、ごめん、志貴君、無理させちゃったみたいだね」

「いいよ、俺が自分からしたことだし、それに―――」

「それに?」

「忘れかけていたことも思い出したから―――」

 と、視界に何かが入った。

 和服を着た、彼女―――

「弓塚さん、ごめん」

 そう言って僕は彼女の元へ駆け出した。

 

 

「残念だったな、さつき」

「うっうわぁぁ」

 振り返ると橙子さんがベンチの後ろで煙草を吸っていた。

「見ているこっちが赤面したぞ、おい、鮮花、出て来い」

 はい、という声と共に鮮花も出てきた。

「まだまだだな、さつき、私は先程、いや、最初からずっと見ていたぞ」

 さつきはどんどん顔を赤くしていった。

「「じゃあ、アイス、食べなよ?」だってさ、鮮花。こいつ、七夜がそれでどんな目にあったか知らないから言えるのだろうな?」

「ええ、橙子さん、七夜さんが可哀相ですが、確かにそうですね」

 さつきは顔を沈めた。

「おまけにとんずらか、七夜はお前のことを私たちが仕向けた者だと思ったのだろうな」

 さつきは顔を上げて橙子を見て、言った。

「仕向けた?」

「ああ、まぁ、原因は誰にあるとも言えないし、誰にでもあると言える。私たちは七夜に見事、トラウマを造り出したのだよ、アイスのね―――」

 橙子の話を聞いているうちにさつきは顔を真っ赤にして、言った。

「貴方達鬼ですか―――!」

「失敬な、ただの魔術師だよ」

 

 

「―――シキ!」

 彼女はいつも着流すように着ている和服でそこにいた。

「あら、七夜君」

 酷く、母性的な笑みを浮かべた彼女はそこにいた。

「前に遭ったのは三月だったね」

 公園の隅で、歩く場所でもなく、またベンチもなく芝生というわけでもない。

 公園の本当の隅。

 不揃いな木々の陰の中、まぶしい陽光が葉の陰を創って僅かな日向を造る。

 その、葉の照明の中で彼女はふっと笑っていた。

「―――そうね、たしか、『雪』が降っていたわね。全てを覆い尽くすように………」

 ―――いっそ、退屈なんだから、みんな埋まってしまえばいいのに―――

 そう、その目は言っていた。

 彼女は飽くまでそこにいていない。

「僕も、君と同じようになってしまったんだ」

「識ってるわ――― だって、私は「              」だから」

 風が、吹き抜けた。

 それは体の表面の水分を乾かして体温を奪い、心地よかった。

 そして、しっとりと汗ばんだ彼女の肌は妙に艶があり、より美しく見せた。

「でも、君はあの不条ビルにも居ただろう? あの時、僕が居たのに話し掛けなかったのは―――」

「私はあなたを識る私ではなかったから――― でも、気にしないで。例え、式や識があなたに殺意を抱いても、それは決して彼らの意思ではなく、衝動なのだから」

 ―――衝動。

 橙子さんが以前言っていた。

 欲望は己のうちから出るものだけど衝動は外から自分を押す力だって―――

「自分から僕を殺すって言うのもおかしな話だよね」

 そうね、と彼女は微笑んで云った。

「私、そろそろ行かないといけないの、都古が五月蝿いから」

「ああ、気をつけて、また遭うのはいつかな―――」

「変な事言うわね。次に逢うのは本当に近いうちよ」

 







 そうして、僕は彼女と別れた。








 

 翌日、事務所に言って橙子さんがさんざん幹也さんを使って調べた情報が手に入った。

「志貴、両儀式の居場所が掴めた。お前は以後、シエルやさつきと同じ学校に通え、そこに彼女が居る」

 ―――確かに、近いうちだったよ、ホント。

 

 そして、今日は二学期の始業式だ。

 横にはさつきとシエルが居た。

 さて、彼女とあったら最初に何を話し掛けるか。

 それまではただの学生でいよう―――

 




 季節はもう秋だ。

 夏の残傷が残る中、僕は病室を後にした。




 

 

「さて、この部屋のモノを始末しなければな」

 橙子はぽつりと事務所の下の階で呟いた。

 目の前には簡易式ベッド。

 そして、その脇には―――

「ふん、秋でもないのに枯れているとはな、皮肉だね」

 ―――花瓶の華が乾燥していた。

 それを持ち上げると橙子はじっと観察した。

「さつきも味な真似をするようになったな。よもや、枯れる前に枯死させて最低限の質を保つとは。なかなか出来ない芸当だよ」

 橙子はその花を花瓶ごと持って自分の机まで運んだ。

 

 ただ1人、明かりもない部屋で、橙子は煙草に火をつけ、夜景を見下ろした。

「問題は山積みだな」

 机の上には渇花と資料が置いてあった。